「融資の可能性は限りなく低かった」村上ファンド事件証人・小谷 彰彦氏への弁護側反対尋問
ライブドアへの融資
- 平成 16 (2004) 年 9 月 15 日に、宮内 亮治被告(ライブドア元取締役)・中村 長也被告(ライブドアファイナンス前社長)と打合せを行った
- 宮内被告と中村被告が揃っているときは、宮内被告しか話さない
- 返済原資や返済時期について、宮内被告や中村被告から積極的に話したのではなく証人から尋ねた
- まず、「2 〜 3 年で」と言われた
- 明確な返済計画はなかった
- 「1 年の融資をロールオーバーできなくはないが、最初から 2 〜 3 年は厳しい」と答えた
- 次に、「1 年くらいで返せるかな」と言われた
- 「ニッポン放送株の 1/3 を取得して、6 月に村上ファンドとの協力で役員を総入替えする。そして、秋にライブドアと合併して、ニッポン放送の資産で返済する」とのことだった
- 渋い返事をした
- 次に、「3 ヵ月くらいで返せるかな」と言われた
- 「ライブドアがニッポン放送株を買えばフジテレビが TOB を掛けるので、売却すれば 1 〜 2 割儲かる」とのころだった
- まず、「2 〜 3 年で」と言われた
- 実質的な返済計画はない、と判断した
- 2 〜 3 年後の返済は、出世払いみたいなもので銀行としては話にならない
- 1 年後の返済は、2/3 の取得であれば可能性はあるが、1/3 の取得で合併するとニッポン放送株がなくなる
- 「フジテレビの TOB に応じる」との皮算用を聞いて、「ネットとメディアの融合」ではなく投資がやりたいのだろう、と感じた
- 案件が始まったばかりで、これから返済計画を練るのだろう、と思った
- 宮内被告と中村被告は、返済のことを考えていなかった
- 融資とエクイティ・ファイナンスの最大の違いは返済の有無なので、後者に慣れていると返済のことはあまり考えない
- シティバンク銀行に勤務していた頃の顧客に、谷町から受取った金を返済しない芸能人が多かったが、それに近い
- ニッポン放送の経営権を取りたい雰囲気はなく、拒否権が欲しい様子だった
- 株をできるだけを多く購入したい感触だった
- 融資の可能性は限りなく低かったが、「是非やらせてほしい」と言った
- 降りることは、いつでもできる
- 平成 17 (2005) 年 2, 3 月まで約半年あるので、挑戦する
- 励ますようなことも言った
- 融資が難しい案件の場合、その場で修正することもあるが、「ちょっと考えてきます」と返事をすることもある
- 日下部 治郎氏(クレディ・スイス銀行マネージャー)も、同じだろう
- ライブドアから話が来たことは、嬉しかった
- 信用されている、と感じた
- 無下に断りたくなかった
- (「宮内被告は、『証人は、興奮気味だった』と証言した」との弁護側に対し)案件自体は面白い、と感じた
- 1 時間弱で終了した
- 以下の 3 点が揃わないと融資できないが、特に 1 が重要
- 返済原資と返済時期
- 通常は、財務諸表と事業計画で返済原資と返済時期を確認する
- 平成 16 (2004) 年 9 月 15, 22 日の返済計画は納得できるものではなく、以後も年内には 1 度も提示されなかった
- 年が明けてから、パワーポイント PowerPoint の資料を受取った
- ライブドアはインターネット企業なので返済計画を描きづらいだろうが、嘘でもいいから作らないと話にならない
- 審査部門は返済原資と返済時期がないと審査ができないので、営業から上げることができない
- 使途
- 敵対的買収について邦銀は厳しいが、クレディ・スイス銀行は大目に見る
- 村上 世彰被告(M & A コンサルティング前代表)の受売りと感じた
- 村上被告に踊らされているだけではないか、と実現可能性について不安を覚えた
- 担保
- ニッポン放送株には一定の価値があるので良いが、単一銘柄が暴落すると追証が発生する
- 返済原資と返済時期
M & A とライブドア
- 野村證券に勤務していたから、「M & A の成功確率は 3/1000」と叩き込まれた
- 途中で終わる可能性が高い、という心配があった
- 当時は決着が付いていなかったが、ライブドアはプロ野球参入のように買収よりも話題作りを狙っている感じがしていた
- 「近鉄買いたいよ、なんちゃって」というライブドア一流の「なんちゃってディール」のノリに、巻込まれたくなかった
- ニッポン放送は、次のネタではないか
- 村上被告は、プロ野球参入と同様に楽天を引きずり出そうとしているのではないか
- ライブドアと楽天では、資金調達能力に差がある
- スイスの銀行は目立たない方がいいので、利用されてはいけない
- 9 月 15 日は真剣な打合せだったが、9 月 22 日は調子が変わっていた
- 以後は会っても話が出ず、催促された記憶はない
- 10 月頃に、気持ち悪くなって逆に中村被告へ「ニッポン放送の話は、終わった訳ではないですよね」と電話した
- 以後は会っても話が出ず、催促された記憶はない
ライブドアへの融資
- 9 月 15 日の打合せが終わってから、日下部氏へ電話した
- 日本では夜だが、スイスでは日中
- 日下部氏とは、1 日に何度も連絡していた
- 面白い話だったから、「半分笑い話」としてすぐに伝えた
- 宮内被告に会ったのは 4, 5 回目だった
- 「1 回目は数千万円だったのが、数億円や数十億円になり、今回は数百億円で毎回 1 桁ずつ増えている。こういうのを成長というんですかね」と言うと、「ある訳ないでしょ」とあしらわれた
- 日下部氏は冷ややかだったが、時間があるので見極めることになった
- 日本では夜だが、スイスでは日中
- ローラン・ルップ氏は営業責任者で、大型融資に積極的だった
- ルップ氏には、大まかな話しかしなかった
- その後、ライブドアの有価証券報告書をダウンロードした
- 9 月 22 日に、宮内被告・中村被告と打合せを行った
- 融資の考え方を説明した
- 話を現実的なものにして、相手にボールを投げ返す
- 9 月 22 日であったことを示す記録は、証人にはない
- (「供述調書に、9 月 22 日のやりとりがない」との弁護側に対し)「9 月 15 日の 1 週間後くらいに、紙を持って行った」と話し、宮内被告の手帳に「9 月 22 日」とあった
- 9 月 25 日(土)と 9 月 25 日(日)は、F1 の上海 GP に行った
- クレディ・スイス銀行があるチームのスポンサーになっているので、年に 1 度くらい観戦する
- ルップ氏や日下部氏とずっと一緒だったが、ニッポン放送の話は出なかった
- GP では、あまり仕事の話をしない
- 9 月 23 日に出発したと思うので、出発前にボールを投げ返したのではないか
- 上海から、香港経由で東京に戻った
- 期間は 1 週間くらい
- 投げ返したのが、10 月中旬である可能性はないだろう
- 10 月は、別件で忙しかった
- 1 ヵ月以上放置することはない
- 2 回目の打合せの目的は、以下の通り
- 前回の「LBO で目一杯」ができないことの承諾を得る
- 500 〜 600 億円はエクイティ・ファイナンスを利用することの理解を得る
- 現実的な返済計画
- ニッポン放送株の掛け目は、せいぜい 50 %
- 掛け目より、融資総額や返済計画が重要
- 「40 %」と「50 %」のどちらと言ったか分からない
- 以前、日下部氏が別件でニッポン放送株を担保に少額を融資したときの掛け目は、50 〜 60 % だった
- 現預金で 100 億円だと、エクイティ・ファイナンスで 200 億円が必要
- 「クレディ・スイス・ファースト・ボストン証券を紹介しましょうか?」と話した
- 宮内被告が「クレディ・スイス・ファースト・ボストン証券とは面識があるが不安」と言ったので、「先輩がファンドを運営しているので、資金調達できるかもしれない」と答えた
- (「融資金額を 200 億円にしたい、という気持ちはあったか?」との弁護側に対し)金額ありきではない
- エクイティ・ファイナンスにして貰うことが必要
- スイスの銀行は、敵対的買収の必要資金の半分以上をエクイティ・ファイナンスにして、ハゲタカのように言われることを嫌がる
- 宮内被告に、A4 の資料 1 枚を渡した
- バランスシート B/S のようなものを書いた
- 前回の打合せから 1 週間が経過しても、ライブドア側は現実的な返済計画を考えていないようだった
- ライブドア株が担保にならないことは、この日に伝えたかもしれない
- (「中村被告は、『30 % という話があったのではないか』と証言した」との弁護側に対し)あり得ない
- (「宮内被告は、『ニッポン放送株を担保に 300 % 億円と無担保で 200 億円』と証言した」との弁護側に対し)絶対ない
- コミットメントラインの話も出たかもしれない
- 融資は、貸さないと意味がない
- 「なんちゃってディール」だと、ただ働きどころかクレディ・スイス銀行の名前が出るだけ
- コミットメントラインの設定料で収益を得る
- 担保は同じ
- 融資の考え方を説明した
- 9 月 22 日の打合せ以降は、ライブドアの検討待ちだった
- 別件でも会ったが、話は出なかった
- プロ野球参入の決着が付く 11 月からだろう、と思っていた
- 数週間後に中村被告に電話したが、10 月中は進展がなかった
- ライブドア側は、イーバンク銀行株や JMAM サルベージ 1 号投資事業組合が目先の課題だった
- クレディ・スイス銀行側も、ルップ氏や日下部氏が忙しかった
- ライブドアとの連絡は、中村被告が中心だった
- 週に 1 回くらい会う
- 週に 2 回くらい携帯電話でやりとり
- 話が出た可能性もあるが、記憶にない
- 証人から積極的に尋ねたこともない
- クレディ・スイス銀行側も動いていなかったから、ヤブヘビになる
- 別件でも会ったが、話は出なかった
- 10 月 25 日の昼に、大きな打合せを行った
- 夕方に、宮内被告の取締役退任をインターネットで知って驚いた
- 中村被告に電話したら「気にしないで下さい」と言われ、「そうなんですか」と答えた
- 夕方に、宮内被告の取締役退任をインターネットで知って驚いた
- 10 月下旬に、中村被告に電話した
- 「なくなった訳ではないですよね」と聞くと、「進んでもいないし、後退もしていない。そのまま」と言われた
- ライブドアは熱心ではない、と感じた
- 立消えになる典型的なパターンだが、M & A はそういうもの
- (「中村被告は、『9 月 22 日以降、週に 1 回くらい電話で尋ねていた。10 月下旬と 11 月上旬にプッシュした』と証言した」との弁護側に対し)会ってはいたが話は出ず、記憶と正反対
