「堀江被告はニッポン放送買収にノリノリ」村上ファンド事件証人・中村 長也被告への検察側主尋問
証人の経歴
- 平成 11 (1999) 年 12 月に、オン・ザ・エッヂ(現・ライブドア)に入社
- キャピタリスタ(現・ライブドアファイナンス)の取締役を経て、平成 16 (2004) 年 9 月に、ライブドアファイナンスの取締役に就任
- ライブドアファイナンスは、ライブドアの M & A 業務担当子会社
買収資金調達
- 平成 17 (2005) 年 2 月 8 日に、ライブドアの子会社との合計で約 35 % のニッポン放送株を購入した
- ニッポン放送の案件を知ったのは、平成 16 (2004) 年 9 月 15 日
- 当時のスケジュールを見れば、日付を特定できる
- 19 時 30 分から 20 時まで、買収資金の融資について小谷 彰彦氏(コンフィアンス・サービセス代表)と打合せを行っている
- 当時のスケジュールを見れば、日付を特定できる
- 小谷氏との打合せの前に、宮内 亮治被告(ライブドア元取締役)に呼ばれて、会議室で堀江 貴文被告(ライブドア前社長)を交えた 3 人で打合せを行った
- 「村上 世彰被告(M & A コンサルティング前代表)からニッポン放送買収の提案があり、ライブドアとしても受ける」と聞いた
- 多額の資金調達が必要なので、担当を命じられた
- 以下の内容の「N 社について 2004 年 9 月」という 5 ページの資料を見せられた
- 年内に発行済株式数の 20 %
- 3 月までに発行済株式数の 1/3 超
- 1 ページ目に、「フジサンケイグループにおける複雑な持合構造」とあった
- 堀江被告から、資本のねじれを説明され、ニッポン放送を買収することによりフジサンケイグループの中核にまで影響を及ぼせることを知った
- 2 ページ目に、「現在の株主状況」とあった
- 村上被告の紹介があれば、年内に 20 % は可能と判断した
- 3 ページ目に、村上ファンドの取得率が 17.7 % とあり、3 月までにライブドアの取得率が 1/3 となれば、合計で過半数となった
- 4 ページ目に、「保有資産の状況」とあった
- ニッポン放送の優良な金融資産だけでも、買収案件になり得た
- 5 ページ目は、覚えていない
- 堀江被告は説明するときに前のめりだったので、「ノリノリ」「やる気に満ち溢れている」という印象を受けた
- ネットとメディアの融合に興味を示していたので、ライブドアとフジサンケイグループは良い案件だ、と思ったのだろう
- ネットとメディアの融合に成功すれば、ライブドアの時価総額を大きくできる
- 村上被告の提案が上手だったのだろう
- 村上被告は提案上手で、堀江被告の勘所を突いている
- ネットとメディアの融合に興味を示していたので、ライブドアとフジサンケイグループは良い案件だ、と思ったのだろう
- 村上被告は、敵対的買収の話に乗り、かつ資金がある会社としてライブドアを選んだのだろう
- 8 月 5 日公表のライブドアの第 3 四半期連結決算では、グループの現預金が 413 億 5694 万 6 千円だった
- 宮内被告が、「1/3 超を購入すると 500 〜 600 億円必要になるから、資金調達を担当してほしい」と証人に言った
- ライブドアグループは当時、エクイティ(株式)とデット(借金)で資金調達しており、証人がデット(借金)の担当だったから
- 指示を出したのは宮内被告だが、最終的に指示しているのは堀江被告
- 堀江被告が決定した M & A に宮内被告が同意すると、ライブドアとしての決定事項となっていた
- 他にも 2 名の取締役がいたが、M & A については堀江被告と宮内被告が中心だった
- 指示は、証人にとって会社の業務だった
- このときの証人のメモに、「時期:年内/量:20 %」「F → TOB 来年 3 月まで」とある
- 「F」が、ライブドア関連のファンドとフジテレビのどちらを指すのか覚えていない
- 20 % にしろ 1/3 にしろ大量だった
- 5 % 未満という話は、出なかった
- 年初から、ライブドアの経営企画管理本部が余資の運用としてニッポン放送株を購入していたが、その延長であれば、忙しい中に打合せをしない
- 少量であれば、多額の資金調達の話は出ない
- 証人が資金調達を担当する一方、塩野 誠氏(ライブドア証券取締役副社長)が村上ファンドとの窓口・紹介される株主とのやりとり・事務作業を担当することになった
- 宮内被告が塩野氏に指示する場所に立会った
- 9 月 15 日には、堀江被告・宮内被告・証人・塩野氏がニッポン放送の案件を知っていた
- 証人は、他の誰にも話していない
- 一般に、M & A の進捗状況を対外的に漏らすと、案件が潰れる
- ニッポン放送は上場しており、買収の動きが察知されると株高になり、購入コストが上がる
- 9 月 15 日から、ニッポン放送株購入の動きが始まったのは、村上被告が堀江被告に提案して、堀江被告も受入れたから
- 年初からの経営企画管理本部による購入は余資の運用であり、性格が異なる
- 年初はキャピタルゲイン目的で、9 月 15 日以降は M & A 目的
- 小谷氏に会ったのは、宮内被告と証人
- 場所は、ライブドアの会議室
- 宮内被告が、「N 社について 2004 年 9 月」を見せて概要を説明した後、クレディ・スイス銀行からの 500 億円の融資を依頼した
- ライブドアが依頼できたのは、クレディ・スイス銀行だけだった
- 邦銀 4 行と取引があったが、フジサンケイグループとも取引があるだろうから、宮内被告と証人は外部に漏れることを危惧した
- 邦銀はリスクもリターンもあまり取らないが、外銀はある程度のリターンを示せばリスクも許容する
- 500 億円の融資では、1/3 に足りなかった
- ニッポン放送の時価総額 1800 億円 * 1/3 = 600 億円
- 不足分は、現預金で賄うつもりだった
- 宮内被告が、融資条件を小谷氏と相談した
- 金利は、3 〜 4 %
- 担保は、堀江被告のライブドア株や融資で購入するニッポン放送株
- 最初から相手に随分有利な条件を提示している、と思った
- 「担保評価は、ニッポン放送株は東証 2 部なので 50 〜 70 % の掛け目だが、ライブドア株は評価が付かないか付いても低いだろう」と言われた
- 「500 億円」と聞いた小谷氏は、「大きいですね」と驚いていたが、融資自体は前向きで「是非うちでやらせて下さい」と言っていた
- 融資を受けられるかもしれない、と思った
- 1 週間か 10 日くらいして、小谷氏が 1 枚の書面を持参した
- 融資金額:500 億円
- 金利:4 % 前後
- 担保:取得するニッポン放送株と堀江被告のライブドア株
- 掛け目:ニッポン放送株は 50 % で、ライブドア株の数値は忘れたがニッポン放送株よりも低かった
- 小谷氏が、「クレディ・スイス銀行の日本を含むアジアを統括しているローラン・ルップ氏が乗り気」と言っていた
- 9 月 15 日よりも行けそう、と感じた
- その後も、週 1 回程度、電話したり会ったり、証人と小谷氏は連絡を取っていた
- 10 月 8 日に、塩野氏から Cc: で証人へメールが送信された
- 村上ファンドの担当者と話して、「18.74 % のブロックに、約 320 億円必要」とのことだった
- 「年内に 20 %」の具体的内容だ、と思った
- 10 月 8 日に、堀江被告が「気持ち良く行って下さい。最優先です」と返信した
- ニッポン放送買収が、最大の関心だった
- 9 月 15 日以降、平成 17 (2005) 年 2 月 8 日にニッポン放送株を大量購入するまで、堀江被告はノリノリのままだった
- 村上ファンドの担当者と話して、「18.74 % のブロックに、約 320 億円必要」とのことだった
- 平成 16 (2004) 年 10 月中旬に、小谷氏から「200 億円のコミットメントラインでどうですか?」と融資内容の見直しの連絡があった
- コミットメントラインとは、融資枠の範囲内でいつでも融資を受けられる契約
村上ファンドとの打合せ
- 11 月 8 日に、村上ファンドと打合せを行った
- ライブドア側の出席者は、堀江被告・宮内被告・証人・塩野氏
- 村上ファンド側の出席者は、村上被告・滝沢 建也氏(M & A コンサルティング副社長)・トリイ ジュンコ(表記不明)氏(M & A コンサルティング元社員)・男性社員 1 名
- 村上被告は堀江被告しか見ずに、堀江被告を持上げるような話をしていた
- プロ野球の球団経営に参入を表明していた頃なので、三木谷 浩史氏(楽天社長)を引合いに出して、「三木谷氏は爺殺しだが、お前は違う」「ニッポン放送の旧態依然を打破るのは、お前だ」などと言っていた
- ライブドアにニッポン放送を買収させるために、堀江被告にそう話したのだろう
- 堀江被告のライブドアの持株比率は下がっていたが、説得しようとしていた
- 堀江被告は、はにかんでいた
- (「村上被告は、取調べで『ライブドアの若手に説明するためだった』と供述した」との検察側に対し)そうではないだろう
- 村上被告は、9 月 15 日と似た資料を用意していた
- サンケイビルについての説明などがあった
- 村上被告が株主を紹介して、ニッポン放送株を売却するように働きかける、とのことだった
- TOB の話も出ただろう
- 村上被告が「資金調達はどうなっているの?」と尋ね、宮内被告が「大丈夫です。クレディ・スイス銀行から 300 億円くらいできています」と答えた
- 経営権掌握後、フジサンケイグループをどうするかも相談した
- 村上被告が「ポニーキャニオンは、ベンチャー企業が買いに来ている」と言うと、堀江被告は「ライブドアでやる」と応じた
- ライブドアと村上ファンドの協力について、宮内被告は「村上ファンドが売抜かないよう書面を交わしてほしい」と頼んだ
- 村上被告は「うちはファンドだから、俺を信用しろ」として、書面を作成しなかった
- ライブドアが平成 17 (2005) 年 3 月までに 1/3 超を取得する一方、村上ファンドは約 18 % を維持するのだろう、と思った
- 宮内被告は取締役を辞任していたが、社内の立場に変化はなかった
- 終了直前に、堀江被告は「よろしくお願いします」と頭を下げた
- 堀江被告が頭を下げる場面をあまり見たことがなかったので、村上被告の言うことは素晴らしいのだ、と思った
クレディ・スイス銀行からの融資
- 平成 16 (2004) 年11 月下旬か 12 月上旬に、小谷氏が「クレディ・スイス銀行との間に、邦銀を挟みますか?」と聞いた
- 12 月 6 日に、小谷氏から宮内被告と証人へ「大きなローンの件ですが、邦銀の候補としてあおぞら銀行」とメールが送信された
- 「大きなローン」とは、ニッポン放送株購入のための融資のこと
- 12 月 6 日に、小谷氏から宮内被告と証人へ「大きなローンの件ですが、邦銀の候補としてあおぞら銀行」とメールが送信された
- 12 月 7 日に、小谷氏から宮内被告と証人へ「あおぞら銀行の秘密保持契約書のドラフトをお送りします」とメールが送信された
- 「新生銀行も、社長が交代してやる気」「追伸:当該ディールはコンフィデンシャルにつき、取扱いにご注意下さい」とあった
- あおぞら銀行や新生銀行と秘密保持契約書を交わすに当たり、ライブドアの顧問弁護士に文案の決裁を受けた
- 12 月上旬に、クレディ・スイス銀行からの融資の雲行きが怪しくなった
- 9 月 15 日から 3 ヵ月が経過しているのに、進展がなかった
- 邦銀を挟むのは苦肉の策かな、と思った
- 対策として、11 月下旬か 12 月上旬に、熊谷 史人被告(ライブドア元代表取締役)に資金調達を依頼した
- エクイティ(株式)による資金調達は 3 通り
- 公募
- 第三者割当増資
- 株券発行
- デット(借金)からエクイティ(株式)に切替えたのではなく、同時進行
- エクイティ(株式)による資金調達は 3 通り
- 熊谷被告は証券会社数社を当たり、12 月下旬にリーマン・ブラザーズ証券から 500 億円の MSCB(転換価格修正条項付新株予約権付社債)を受けた
- クレディ・スイス銀行からの融資は、小谷氏に「審査で滞っている」と言われ、風前の灯だった
- 平成 17 (2005) 年 2 月に、クレディ・スイス銀行から 100 億円の融資を受けた
- リーマン・ブラザーズ証券からの MSCB(転換価格修正条項付新株予約権付社債)までのつなぎ
- 平成 16 (2004) 年 9 月の融資の延長
インサイダー取引
- 証人は 9 月 15 日からニッポン放送株を買えなくなる、と思っていた
- ライブドアが買収する、という重要事実を知ったから
