「フジテレビは 10 万馬券でニッポン放送は万馬券」村上ファンド事件証人・宮内 亮治被告への弁護側反対尋問
インタビュー記事
- 光文社「FLASH フラッシュ」に掲載されたインタビューの取材を平成 18 (2006) 年 6 月頃に受けた
- 傍聴者注:6 月 27 日号の記事を指すものと思われる
- 記事中の「本案件は無理がベースにある、と思う」「ニッポン放送買収は、自分がメインではない」「無理と思っていたが、No. 2 だから言わなかった」「担当者を付けて、自分は関知しなかった」という発言内容を覚えている
- 証言内容とほぼ同じ
- 取材を受けたときにいた場所は、言いたくない
- 電話取材だった
- 記者が他人を張っているところに登場してしまい、その場は帰ったが、逃げるのは嫌なので、連絡先を教えて対応した
- 傍聴者注:6 月 6 日号の記事を指すものと思われる
- 証人の裁判については、「話せない」と断った
- 検察官に記事のことは聞かれなかった、と思う
- 拘置所を出てから何度も地検に行っており、話が出たとしても覚えていない
ニッポン放送とフジテレビの経営権掌握
- 常識的には難しかったが、トップがやる気で実現可能性もあったので、話が進んだ
- 自分だったらどうしよう、と思った
- 全く関知しなかったのではなく、やるべきことはやった
- ニッポン放送だけでは意味がなく、フジテレビの経営権掌握が目的だった
- 第 3 回公判で、「巨額の資金を注ぎ込んでフジテレビの経営権を掌握できない場合、ライブドアの全事業の成長が止まる」と証言した
- ライブドアとしては、危険だった
- 平成 16 (2004) 年 9, 10, 11 月頃は始まったばかりで、よく分かっていなかった
- その後、現実感が出てから危険を感じた
- ライブドアとしては、危険だった
- 塩野 誠氏(ライブドア証券取締役副社長)を担当者に指名したのは、村上 世彰被告(M & A コンサルティング前代表)
- 主尋問で、「フジテレビの経営権を掌握できれば、ライブドアにとって素晴らしい意味がある」と証言した
リスクとリターン
- 600 億円のリスクとリターンが見合うか、検討した
- ニッポン放送の経営権を掌握できなくても、株は売却すればよかった
- 重要な点が 2 つあった
- リターンが大きい
- ネット業界では 1 位と 2 位以下の差が大きく、2 位以下が 1 位と同じことをしていても勝てない
- 経営判断として適切とは思わず、博打的要素はあったが勝負を賭けた
- 個人的には、フジテレビまで到達できる可能性は大雑把に言って 10 万馬券
- ニッポン放送は万馬券
- 万馬券や 10 万馬券の理由は、以下の通り
- 敵対的買収
- 単独でない
- 相手との会話が全くできていない
- 金額が高く、資金面が不安
- 経営権掌握後の運営を誰がどのように行うのか
- 会社を危機にするほどの資産を 10 万馬券に賭けた結果、刑事裁判になったので、経営者としては失格だった
- Yahoo! JAPAN との差を埋めるには、最適な方法だった
- 同じことをしていても、差は広がる一方で追い付かない
- 万馬券や 10 万馬券だから、やりたくなかった面も若干ある
- 堀江 貴文被告(ライブドア前社長)がどう認識していたかは分からない
- 証人ほど心配していないように感じた
- 「心配した」とは言っていたが、最初からではない
買収資金調達
- 主尋問で、「9 月 15 日に、クレディ・スイス銀行から 500 億円の融資を受けることを小谷 彰彦氏(コンフィアンス・サービセス代表)に打診した」と証言した
- 当日の小谷氏の表情から、もしかしたら資金的には行ける、と思った
- 資金準備が証人の役割だったので、ポジティブになった
- 実際は、100 億円しか借りられなかった
- 当日の小谷氏の表情から、もしかしたら資金的には行ける、と思った
- 熊谷 史人被告(ライブドア元代表取締役)の資金調達能力は、パーフェクト
- エクイティ(株式)による資金調達を担当し、証人が知る限り、他社と比較しても飛び抜けている
- 熊谷被告は、平成 13 (2001) 年にキャピタリスタ(現・ライブドアファイナンス)に入社した
- 平成 17 (2005) 年の取締役会でライブドアの役員になったが、平成 16 (2004) 年 9, 10, 11 月当時は執行役員上級副社長として、資金調達・IR・人事を担当していた
- 株式 100 分割などで流動性を高めたり、飛込みで IR を行ったりした
- デット(借金)による資金調達を選択した
- デット(借金)とエクイティ(株式)の両方を走らせることは、考えなかった
- 早い段階で、資金調達の目途が立っていた
- 熊谷被告のエクイティ(株式)もあった方が確実度は増すが、公募価格を割れていた
- 株主価値を高めるためにはデット(借金)だけでいい、と判断した
- デット(借金)による資金調達を中村 長也被告(ライブドアファイナンス前社長)に指示した
- デット(借金)とエクイティ(株式)の両方を走らせることは、考えなかった
- 熊谷被告にはエクイティ(株式)による資金調達を指示しなかったので、「ニッポン放送の件は、放置でいいんじゃない?」と言っておいた
- 買収計画を知る人間が 4 人から 5 人に増えると、外部に漏れる可能性が高くなる
- 秘密保持の点からは全員信用できるが、何があるか分からない
- 買収計画を知る人間が 4 人から 5 人に増えると、外部に漏れる可能性が高くなる
- 11 月 12 日の打合せでは、それまでに融資の申込金額が 500 億円→ 200 億円→ 500 億円と変化していたので、小谷氏は何が起きているんだろう、という感じで「頑張ります」と言った
- 9 月 15 日に比べて、融資は難しいかな、という印象を受けた
- デット(借金)は、やってみないと分からない
- それでも、エクイティ(株式)による資金調達の準備はまだしなかった
- 12 月上旬に、デット(借金)による資金調達の見込みが低くなり、中村被告がエクイティ(株式)による資金調達を熊谷被告に指示した
- このときまで、熊谷被告にニッポン放送の話はしなかった
- 中村被告に「指示しておいた」と言われて、デット(借金)による資金調達が難しくなったことを知る一方、熊谷被告ならエクイティ(株式)による資金調達を達成するだろう、と思った
- 個人的には、進んでしまうなあ、どうなるか分からない領域に突入して大変になるなあ、大騒ぎになって面倒だなあ、と思った
クレディ・スイス銀行
- 9 月 15 日に 500 億円の融資を申込むまでに、小谷氏とはかなり付き合いがあった
- 8 月に、ライブドアの口座をクレディ・スイス銀行に開設した
- 9 月に、50 億円を預金した
- 9 月に、イーバンク銀行株をエバトン・エクイティに売却した
- 時期は忘れたが、エバトン・エクイティからパイオニア・トップ・インベストメント PTI へ 4000 万円を送金した
- 預金を担保に 80 億円くらいの融資を受けたこともあった
- 9 月にライブドアと小谷氏との打合せは数回あったが、打合せ内容は区別できる
- 証人が関わっていれば、ライブドアファイナンスの案件
- 証人が関わっていなければ、ライブドアファイナンス以外の案件
- 小谷氏は、野村証券出身の元クレディ・スイス銀行員
- 一般的に、銀行関係者の見通しは保守的だが、小谷氏は証券会社社員でもあり、銀行員でもあった
- クレディ・スイス銀行関連は、中村被告が詳しい
- 主尋問で、「担保さえあれば、クレディ・スイス銀行から融資を受けられるだけの実績があった」と証言した
- 9 月 15 日に、返済時期の話もしたと思うが、内容は忘れた
- 「2 〜 3 年で返す」「再編して返す」という話もあった
- 駆引きせずとにかく借りよう、と思っていた
- 小谷氏からの質問は、あまり覚えていない
- 小谷氏はやる気満々で、「すごいですね。これ、御社でやるんですか。是非協力させて下さい。こういうのやりたかったんですよ。提案を考えて、すぐ持って来ます」と言った
- 金利の話が出たか覚えていない
- 証人か中村被告が「1 〜 2 % でどうですか?」と言った、と思う
- まだ金利を話す段階ではなく、やれるかどうかの問題が大きかった
- (「平成 17 (2005) 年 1 月 26 日の中村被告からのメールに、リーマン・ブラザーズ証券からの MSCB(転換価格修正条項付新株予約権付社債)までのつなぎのクレディ・スイス銀行からの 100 億円の融資の金利と担保が述べられている」との弁護側に対し)融資条件は、中村被告に聞いてほしい
- 厳しい条件だったが、話が進んでいたので交渉の余地はなかった
- 年利に換算すると 12 % くらいで、強烈に高かった
- 厳しい条件だったが、話が進んでいたので交渉の余地はなかった
- 主尋問で、「平成 16 (2004) 年 9 月 22 日に、小谷氏が提案を持って来た」と証言した
- 担保なしで 200 億円と担保ありで 300 億円
- ライブドア株は担保価値なしで、ニッポン放送株は担保価値あり
- 9 月15 日から 22 日までは、証人は小谷氏と話していない
- 中村被告と小谷氏の間のメールは、Cc: で証人にも来ていたと思うが、特に知っていることはない
- 担保なしで 200 億円と担保ありで 300 億円
- 小谷氏から、クレディ・スイス・ファースト・ボストン証券や他のファンドの名前が出たことはない
- エクイティ(株式)による資金調達であれば、クレディ・スイス銀行の力を借りる必要がないので、聞く耳を持たなかったのかもしれない
- クレディ・スイス銀行の日本担当責任者のローラン・ルップ氏は、普段はスイスのジュネーブにいる
- ルップ氏の決裁権限は知らない
村上ファンドとの打合せ
- 9 月 15 日の打合せは、M & A コンサルティングで行った
- 村上被告は、「名義書換えしていない分がある」と言っていた
- 鹿内家は、実際は 18 % なのに 16.63 % になっていた
- 実際の数字と表面上の数字は違う、と思った
- 村上被告は、「名義書換えしていない分がある」と言っていた
- 11 月 8 日は、プロ野球参入断念の話の後、「資金の目途が立った」と本題を切出した
- ニッポン放送の発行済株式数の 20 % のブロックの分
- ブロックで 20 % と、別に村上ファンドから 30 %
- 9 月 22 日の塩野氏へのメールで「20 % で押込む」と指示していたので伝わっているだろうが、結果は分からなかった
- 通っているだろう、と証人は思っていた
- このメールは、堀江被告のパソコンからも見付かっている
- 9 月 15 日に 1/3 だった取得率が 20 % になっていることについて、堀江被告の異存はなかったが、どう考えていたのかは分からない
- ニッポン放送を買収することは決まっていた
- 9 月 15 日に「年内に 20 %」の話もあったので、それだと思った可能性もある
- 堀江被告が、「年内に TOB はどうですか?」と村上被告に聞いた
- 早すぎて、何の意味があるのだろう、と思った
- 堀江被告が 20 % と聞いていたら、年内の TOB は言わないだろう
- 滝沢 建也氏(M & A コンサルティング副社長)から、外国人株主リストを見せられた
- 配られたのではなく、机に置いて全員で 1 枚を見た
- アメリカのサウスイースタン・アセット・マネージメントとバミューダのピーター・キャンディル・アンド・アソシエイツが入っており、話が通っていないから 20 % でなくて 1/3 でなければいけない、と思った
- 村上被告が、「こことここは売るぞ」と説明した
- 「こことここ」が売らないと、1/3 にはならなかった
- 証人は堀江被告の隣の席だったので見えたが、あまり真剣には見なかった
- 村上被告は、「1/3 を取れ」とは言わなかった
- 村上被告が、「20 % はどうなった?」と塩野氏に尋ねたか覚えていない
- 村上被告は「金、大丈夫か?」と尋ね、堀江被告は「はい、クレディ・スイス銀行から 300 億円、不足分の 200 億円も何とかなります」と答えた
- 実際は、クレディ・スイス銀行の決裁がまだ 200 億円しか通っていなかったから確実ではなかったし、不足分についてもまだ分からなった
- 村上被告は、「うちは、これ以上買わない」とは言わなかった
- 村上ファンドが買い進めると前提が崩れて、ライブドアがマジョリティではなくなるから、買うとは証人は思っていなかった
- 村上被告と滝沢氏は意見が異なることもあり、仲が悪いのだろう、と思った
- 具体的内容は忘れたが、村上被告が「そうだよな、滝沢」と言っても、滝沢氏は「僕はそうは思わない」と返していた
- 触れてはいけないと思ったので、黙っていた
- 昭栄の話も聞いた
- プレミアムの話が出たかは、結果を知っていたので覚えていない
- ニッポン放送の発行済株式数の 20 % のブロックの分
- 村上被告は、9 月 15 日は営業トーク炸裂で気合が入っていたが、11 月 8 日は弱まっていた
- 9 月 15 日は椅子から前のめりで両手で説明していたが、11 月 8 日は背もたれに寄り掛かって腕を組んでいた
ニッポン放送株の購入
- 10 月 8 日の塩野氏のメールに、「鹿内家と銀行から 18 % 強を購入する交渉に入っていいですか?」とあった
- 邦銀は、フジサンケイグループとも付き合いがある
- ライブドアが秘密保持に気を使っていたことが、クレディ・スイス銀行を選んだ理由でもある
- 社内情報がネット上の掲示板に書かれたこともあり、どちらかと言えば社内からの情報流出を心配した
- 2 〜 3 % の持分を交渉するのと買収では差があるが、言い方次第
- 「買収」とは言わずに、「村上ファンドが買っているから乗る」とでも言う
- 邦銀は、フジサンケイグループとも付き合いがある
- (「熊谷被告の供述調書に、『9 月 15 日の数日後に、中村被告が外銀から融資を受ける準備をしている、と証人に聞いた』とある」との弁護側に対し)話した記憶はない
- 1/3 の取得には、取締役会決議が必要
- 1/3 の取得に向けて進めることを決めたのは 9 月 15 日で、購入を決めたのは平成 17 (2005) 年 2 月 8 日
- 1 月 11 日に概略は話したが、決議は行っていない
- 9 月 22 日は、9 時 30 分から 10 時 30 分まで小谷氏と打合せをして、11 時台に塩野氏へ「20 % で押込む」とメールを送信した
- 小谷氏との打合せの融資金額は、500 億円だった
- クレディ・スイス銀行から 200 億円の融資の見通しが立ったときに、塩野氏が「村上ファンドとの打合せを設定します」と言った
- 10 月後半を予定していたが、堀江被告の海外 IR があったので 11 月 8 日になった
- 塩野氏に、20 % がどうなったかは尋ねなかった
- 平成 17 (2005) 年 9 月期のライブドアの第 1 四半期の連結決算では、有利子負債から現預金を引くと - 233 億円だった
- 第 1 四半期は平成 16 (2004) 年 10 月 1 日から 12 月 31 日までなので、ニッポン放送株の購入前
村上被告による尋問
- 第 3 回公判で、「11 月 8 日以降の年内に、村上被告とニッポン放送の件で相談したことはない」と証言した
- 11 月 8 日の打合せでは、取得率を 20 % にするか 1/3 にするか決まっていなかった
- 堀江被告に「年内に TOB はどうですか?」と聞かれて、村上被告は「難しい」と答えた
- 9 月 15 日の打合せと大差ない内容だった
- 証人は、設定された打合せに立会って、流れに任せていた
- ライブドアが大量購入をすると村上被告が認識した、とは思わない
- 証人は「1/3 行くまでお願いします」と言ったが、村上被告は完全に行くとは受取らなかったかもしれない
- ライブドアは実行を決めていたが、段取りや購入先がまだ決まっておらず、柔らかい案件だった
- 法律の専門家ではないが、村上被告の起訴対象が 11 月 8 日なのは早すぎる、と感じる
熊谷被告
- 熊谷被告は、ニッポン放送のディール全体の MVP
- リーマン・ブラザーズ証券からの MSCB(転換価格修正条項付新株予約権付社債)を含め、村上ファンドとの交渉やマスコミ対応など全てパーフェクト
- 堀江被告が、9 月 15 日の打合せにも出席するよう熊谷被告へメールを送信したが、実際は出席していない
- 4 月のエクイティ(株式)のロックアップ解除は 10 月
- 9 月に営業が来ていた
- 熊谷被告をニッポン放送のディールに引込むことは、考えていなかった
- 柔らかかったし、他の案件もあったし、塩野氏で足りるから
- 熊谷被告が入ると、進んで大変になる
